「主イエスとの食事」 05.04.10
ルカ24:28〜43
墓から甦られた主イエスが、その夜、2回食事をしたことが描かれて
います。主イエスが、普段の生活において一緒にいてくださる方だと
知らされます。
エマオに向かっていた二人の弟子たちは、主イエスに、一緒に宿に
泊まるよう願いました。主イエスは、その願いに応え、共に宿に入り
夕食をご一緒にされました。
そのような主イエスのことを、讃美歌39番は歌います。
主イエスは、日暮れの寂しさに襲われている時に、この世の闇に
襲われる時に、死の床につく不安の時にも、求める者と一緒にいて
くださる方です。
エマオでの食事は、主イエスがパンを裂かれたお姿から、聖餐式と
関連させられます。私たちも聖餐式のたびに、復活された主イエスが
自分と一緒にいてくださることを思い起こします。
しかし、復活された日の食事を、聖餐式との関係だけに限定する
ことはありません。そもそも食事は、日常生活の中で行う代表的な
行為です。それが繰り返されているのは、復活された主イエスが、
どこか遠い世界におられるのではなく、私たちの普段の生活の只中に
おいでくださる方だからです。
死に勝利された神の御子は、私たちがお会いすることのできない、
特別な存在になったのではありません。旅路を一緒に歩く。泊まる家に
入る。食事をする。それらは、いずれも日常生活に伴ってくださる復活
された主イエスのお姿です。
主イエスは、私たちの家庭で、台所で、スーパーで、職場で、
一緒にいてくださいます。それゆえに毎日を喜んで、主に期待
しながら生きていけるのです。
日常生活の只中においでになる主イエスは、弟子たちのふがいなさを
攻め立てるのではありませんでした。
十字架にかかり、人の罪を取り除いてくださった主イエスですから、
真実に「平和があるように。安かれ。」とおっしゃいます。
そのような宣言をしてくださいます。
普段の生活の中で、その宣言を受けて、励まされ、
勇気を与えられ、慰められながら進むのが、復活の主イエスと
出会った私たちの歩みです。